「阿彦哲郎物語」「ちっちゃいサムライ」

2024.01.02

12/29トークイベントレポート

12月29日(金)『ちっちゃいサムライ』17時の回上映後トークイベントレポート

ゲスト:有光健(シベリア抑留者支援記録センター代表世話人)さん

登壇された「シベリア抑留者支援記録センター」代表世話人の有光健さんは、まず「映画で出てきた通り三浦さんや阿彦さんでは事情がそれぞれ違う。抑留者として一括りで語れない部分がある」と前置きし、シベリア抑留についてを解説。戦後、中国大陸や東北部旧満州、あるいは北朝鮮にいた日本軍兵士を旧ソ連が復興再建のための労働力として使おうと、部隊ごと50万人を計画的に連行したケースと、映画で描かれていたように三浦さんや阿彦さんのような民間人を巻き込んだケースを紹介した。「去年公開された『ラーゲリより愛を込めて』もひとつのケースです。さまざまな形で引き裂かれた家族の物語が多々あります」と有光さんは話した。

さらに、「<抑留者>と言いますが、普通は抑留を強いたほうを<抑留者>と呼びますよね。抑留された人たちは本来<抑留被害者>か<被抑留者>という言葉を使うべきなんですけど、すでに日本では抑留者という言葉が流布してしまっているんです」と、そもそもの言葉の定義からして曖昧で分かりづらいことを指摘した。

また、抑留者についての研究は非常に遅れていて、シベリア抑留についてさえ、未だに厚労省と日露研究者との連行された人数、死者数について万単位での開きがあり、全容が解明されていないと語った。

「抑留者の方達は寒さ・仕事のきつさ・食料がなかったというシベリア三重苦の中を生き抜き、大変な苦労をもって日本社会に復帰していった。最後の船が帰ってきたのが1956年、その年の12月に日ソ共同宣言が締結されて、一番の大きな問題として抑留者たちへの補償がなかったことです」と指摘。国家賠償請求訴訟など国に対してずっと働きかけ、2010年に成立したシベリア特措法によって抑留者たちにわずかながらの補償がでたという。「彼らの働きによって、少ないながらも国から補償が阿彦さん三浦さんにも払われ、年金も優遇されている」と佐野監督が補足した。

「抑留で生き残っていらっしゃる方々はすでに5000人を切っていると推測されます。平均年齢が100才になるので、彼らの証言や記録を残していくことに力をいれてやっています。たくさんの犠牲をだした、そこを教訓化していくべきです」と今後の展望を述べた。

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